Sunahara Kanon's Diary

ロシアで子育て奮闘中、バレエダンサーの雑記帳

ボリショイバレエアカデミーの寮生活を思い出す

18歳の時にボリショイバレエ学校を卒業して、バレエ団に就職してからは寮に住めないので
モスクワで部屋を借りてどうにか生活していた。
東のアジア人だという理由で部屋を追い出されたり、貸してくれなかったり。
行くところが無く、駅にスーツケースを持って3泊したこともある。

そして初めて、いかに寮が安全で、守られていたかが分かった。
寮母さんをうるさいと思ったことは寮生活4年間のうちに何度もあったけれども、
寮から離れると彼らの優しささえ、感じることがあった。

K ♪ K バレエ
2006.8.29 入寮日 モスクワに私を送りに来た(置きに)母親と。

ボリショイバレエアカデミーの1階には玄関・医務室・食堂・舞台・校長室・先生の部屋
2階には舞踊実技の稽古場20室。
3階には寮・一般学科の教室・図書室などがある。
地下には檻がある!!!!その檻の中に、クラスメイト達とかくれんぼで遊んでいた時に
入って出られなくなってしまい、たまたま通りかかったカレンチェンコ先生に助けてもらい、
怒られたことがあるのは秘密です。

寮(интернат なので和訳すると"孤児院")には寮母が全員で10人ほど居り、
監視カメラも4台設置されている。

まずアカデミーの玄関に警備のおじさんたちが居るので、両親が日本から来たときにでも
国際部のイリーナさんを呼んで来て手続きをしてもらわなければ中に入れなかった。

起床から消灯時間まで決まっていて、消灯時間の23時になると、
寮母が各部屋を回り、勉強していたとしても電気を消される。
ベッドで寝ているのにもかかわらず布団をめくられ、
「寝ていないなら寝なさい!」と耳元で叫ばれ、起こされたことも何度かあった(笑)

23時を過ぎてもシャワーを浴びていると、
寮母に外からシャワー室入り口のドアに鍵をかけられる。
着替えをするスペースがほとんど無いので、部屋~シャワー室間はバスローブで移動する。
おかげで日本でもバスローブを着るのが習慣になった。

今考えると留学中、本当にいい子ちゃんな生活をしていた。
月~土まで毎日朝から晩まで授業で、外出したとしても寮から近くのスーパーまで。
外食も観光もほとんどしなかった。

K ♪ K バレエ
2007.3.8 女性の日を祝う学校公演で。

「お菓子パーティーしよう~♪」
と祝日などにみんなで誰かの部屋にお菓子を持ち寄って集まっていた。
体重測定や国家試験が近づくにつれ、その楽しみも無くなっていった。

卒業クラスの8年生のときは実技の授業が多すぎて、放課後に部屋へ戻ると
おなかがすいていても、1階にある食堂へ行くのも面倒に感じていた。
とは言っても、この国家試験直前に病気して手術のために入院していたので
この時期の記憶があまり残っていないのだけれど。

授業後にクラスメイトの、同じ日本人の子の部屋に遊びに行くと
その子がよくレッスン着のままベッドの上で倒れこんで寝ている姿を
よく目にしたことは覚えている(笑)

食堂では1日3回+おやつが渡される。
バレエ学校の食事だからと言って、低カロリーで栄養があるわけではない。
寧ろそんなことは一切考えられておらず、
少量で子供達のおなかを一杯させるために油が多く使われ、
かなり高カロリーなメニューだったと思う。
食べたくないときはタッパーを持って行き、サラダだけもらっていた。

K ♪ K バレエ
クラスメイトのカーチャの誕生日。ロシアでは、誕生日の人がみんなにケーキをおごる。
この日は体重測定後だった記憶。

大学生になった今は、この食堂にかなりお世話になっている~♪

当時は食事制限が大変だった。
かと言って痩せ過ぎたりすると担任のスイロワ先生が寮までやってきて、
「カノンはごはんを食べていないかもしれないから監視しておくように」
と私が知らない間に頼みに来ていたようで、寮母にかなり監視されていた時期があった。

ところが台所で料理していると「また食べるの?」と寮母に皮肉を言われたり。
特にアカデミー生の息子がいる寮母は、自分の息子がデュエットクラスで
女の子を持ち上げないといけないので、女の子が食べることにうるさかった。
みんなで寮母にどう反応したら良いのか、常にわからなかった(笑)

寮から外出するのにも、いちいち寮母の承諾が無いと出られなかった。
どこへ誰と何時までかを伝える。

5年生の14歳の時は、まだ低学年だったので、1人での外出は中々許されず、
寮母さんとロシア人の低学年の子供達と一緒か、誰かお姉さんに連れて行ってもらっていた。

K ♪ K バレエ
クレムリン宮殿での子役出演日。寮生で出演する低学年の私達は集められ、
寮母と一緒に劇場へ。

早くひとりでも自由に外出できる6年生(ⅰкурс:専門1年生)になりたいな~
と思っていた頃を思い出す;

わからないけど、寮母に感謝したくなった。

K ♪ K バレエ
2010.12月 バレエ団入団して間もなく、はじめての海外客演を終え、
モスクワに帰って来て家が無くて心細くて、寮母に会いに来た時。
私のグループ担当寮母、ニーナ・サフローノブナと。