Sunahara Kanon's Diary

ロシアで子育て奮闘中、バレエダンサーの雑記帳

夫と娘は正教徒

ロシア語のスパシーバ、ありがとうは
Спаси тебя бог の短縮系、死後も神とともに。

去年の夏に東京で、夫は十字架のついた結婚式場の建物を指差しながら、「あれは何の宗派?カトリックでもないし正教でもないね?」と訊いてきた。

私は「あれは結婚式場だよ」と答えると

夫「どういうこと?どうして日本人が教会じゃないけど教会?で結婚するの」

私は「日本人は西欧文化への憧れから、平気でキリスト教を見立てた偽教会を建て、偽神父を雇い、外国人偽神父に愛を誓う結婚式をするんだよ」と教えた。

腹を抱えて笑っている夫。私は恥ずかしくてハゲるかと思ったのを忘れない。

気を取り直した夫は「真面目に考えてご覧よ、日本人は洗礼を受けた訳でも無ければ、僕ら信者にとっての唯一の神、イエスを信じてもいないのに、キリスト教の教会を真似た建物で結婚することは、全く意味がないよね。本人が神を信じていなければ、神にだってその誓いは届かない。それなのにどうして教会で結婚式をしたがるの?」

私は頷きながら聞くことしかできなかった。至言だ、我が夫よ。
夫には、西欧チックのキラキラに憧れるミーハーな日本人が、ここで結婚式をしたがる理由が、やっぱり分からない。
日本人としての名誉のため、夫には神前式というものがあることを教えた。

私も多くの日本人同様、仏教徒でもなければ何でもない。そんな私に対して夫は結婚前、「じゃあ君は何を信じて何に祈るの?」と聞いてきた。
言われて、はっとした。考えたこともありませんでした。舞台前とか袖幕で失敗しないように祈っているが、私は何に祈っているんだ、、!?

私は娘のエカチェリーナに正教の洗礼をさせたのは、誠実な人間になって欲しい思いから。


先日の林檎の祝日、マリアの命日は娘は洗礼母に連れられて教会へ。

特にマリアの命日はロシア正教12の大きな祝日の中でも重要で、大勢の正教徒が教会に集まる。娘は聖餐を受けた。
(赤ちゃんだからパンは食べず、ぶどう酒を水で薄めて飲ませてもらったとのこと。私はロシア正教徒ではないので見ていない)

一人づつ順番に、マリアに捧げられる花、台の前で土下座してお祈りしていた。泣いてる人もいた。そんな神聖な場にいる私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

通っていた幼稚園はプロテスタントだったけれど、私の知識は年長さんのときのクリスマス会が全てです。
天使さんの役で、
♪おめーでと〜うマーリア、神にめーぐま〜れた、あなたのところに神が宿ります〜男の子が産ま〜れます。
意味も分からず歌った。ああ、ユダヤの人々のお歌もあった、覚えてるもんだなあ!

私は教会に出入りする時も、人々が十字を胸に切る時も、一礼だけしている。一人で入るのは恐れ多いので、夫か誰か正教徒と一緒に、お邪魔しますという気持ちで。

正教徒でない者が十字を切るのはそれこそファッションとして十字架を身に着けるのと同じ、神への冒涜行為だと思うから。

今のところ、私自身はロシア正教徒になることは考えていない。というか私は価されないと考えている。神は何度だってその時が誠実であれば許してくださる、と聞くが、そこに私は含まれるの?


今まで一度だって唯一とされる神に祈ったこともなければ、考えたこともないし、
私の名前は、毎朝ご先祖様への挨拶を忘れない祖父が考えてくれた素敵な名前だけれど、そこに正教徒の天使はいない。

それでも、正教の勉強は妊娠中から始めたし、理解しようと小さな努力だけはしている。それが認められ許されるかは別として。
大きな仮定を立てて、もし、許されたとしても私が罪悪感でいっぱいになるのは解消されないかもしれない。


夫と娘がロシア正教徒だから、生活の中でこれから大きく関わってくるだろう。
 
 

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