Sunahara Kanon's Diary

ロシアで子育て奮闘中、バレエダンサーの雑記帳

ロシア人の温かさに触れて。そしていつも14歳の時を思い出す。

いつもお世話になっています、曽又ひとみさん。
まだ出逢ってから二年ですが、「伽音ちゃんは娘」とおっしゃってくれます。
照れている(笑) とても嬉しい。

元ボリショイ歌劇場 外国人唯一のソプラノ歌手で、
サムライ展などのイベントで企画、構成、
そして日本、ロシア国内で茶道や歌の指導、
近松門左衛門の戯曲「お夏と清十郎」をベースにした日本語オペラ「お夏」(塚本一成 作曲)
この作品を監督としてモスクワに定着させ、幅広く活躍されている方です。

曽又ひとみさんの記事はこちら↓
http://ameblo.jp/kanonballet/entry-11153891690.html

曽又さんが歌の指導をされている土曜日に、お稽古見学へお邪魔しました。
タガンスカヤ駅にある、ジャパンファンデーションへ行って来ました。

週に何度か日本の文化や人々、歴史を好きなロシア人の方達が集まり、
茶道、書道、折り紙や日本の歌を習いに来ています。

K ♪ K バレエ

ラジオ体操、体の力を抜き、腹式呼吸、発声練習を丁寧に時間をかけて
じっくりと練習した後に、日本の歌をみんなで唱います。


K ♪ K バレエ
私もロシア人達に混ざって一緒に参加。

みんな日本語の発音が上手だ。私が日本人であることが恥ずかしいくらい。
「日本語が上手だね!何級持ってる?」と聞いて来たロシア人が居た(´∀`)

この日は、「雪」「とおりゃんせ」「赤とんぼ」「切手の無いおくりもの」「もののけ姫」
などを唄った。
こうやって、大人数で歌を唄うのは小学生以来。

ゆ~き~やこんこ、あ~られ~やこんこ♪

楽しかった。


K ♪ K バレエ
こちらは折り紙教室。
折り紙の本をあまり理解出来ない私は、鶴と紙飛行機(しかも飛ばない...)しか折れない;
ゾーヤさんに箱の作り方を教わった。


ほっこりとした、温かな時間だった、ありがとうございました。


たまに思い出すことがある、ある出来事。
14歳の時にロシアに来て間もない10月、レービチ先生に出逢い、
彼女のクラスに入った。

基礎レッスンのバーレッスン中に、ソーニャという女の子が
突然ガタっと大きな音を立てて転び、悲鳴を上げて泣き始めた。

当時私はロシア語が分からなかったのだが、
彼女が足をくじいて、痛くて泣いていることは分かった。

"それでも今はレッスン中、曲が流れている。
だから先生に与えられた動き以外のことはしてはいけない"と思い、

私はその場から動かず、レッスンを続けようとした。
そうしている間に、他のロシア人達はソーニャのところへ駆け寄り、
みんなで一緒に泣いていた。

私はそんなロシア人達を見て、どうしたらいいのか、
動きを中断してその場に立ちすくんでしまった。

本当にどうしたらいいのか分からなかった。
何故こんなに大げさに泣くのか、
ソーニャのところにみんなで駆け寄って一緒に泣いている状態に驚いたし、
彼らのように人を想える気持ちが無い自分が惨めだった。

その私を、「あなたは何なの!?」と
ナースチャという子の、ピリッとした目と声。

私も思わずソーニャの元へ駆け寄ったが、何も声をかけてやることが出来ず、
ただ ただ泣いているロシア人達を見ていた。


日本では
「レッスン中、曲が流れている間は、たとえ後ろの人を蹴ってしまっても、
動きが止まってしまうので、謝ったりしたらいけません。
私語は禁止です。曲が終わったら静かな声で謝りましょう。」
と教わってきた。

ところがロシアでは、国家試験中だったとしても、誰かがくしゃみをすると
「ブッヂェ ズダローヴァ!」(おだいじに)
という声かけをする。
知らない他人同士であっても。

そんなロシア人のおおらかさに、きっと私は惚れているのだろう。
だからたとえ不本意なことをされたり、見たり聞いたりしても、
私は今も、ロシア人達と一緒に居る。


この、ソーニャが転んだ時のことを鮮明に覚えている。
バーに並んでいた順番、ピアノの音、振付も、そして
レービチがそんな私達を見ていた目も。
どんなふうに思っていたんだろう。

そして私はロシアで、ここで思春期を過ごして良かった、と思う。
もちろん良いことだけではない、色々なことがあったし、今もそうだ。

でもそれは、良い経験だったし、こういうのも有りかな、
ちょっとユニークだけれどね。と思うことが出来る。


さて、大学の課題をやらねば。

明日は朝にバレエ団→その後 大学→バレエ団だ。