Sunahara Kanon's Diary

ロシアで子育て奮闘中、バレエダンサーの雑記帳

ロシアで生きるという予知夢

「お前は親になる資格がない、ロシアで子供作ると決めたのはお前だ」と言ってきた日本男が今度は「お前は悲劇のヒロインを演じている」と言ってきた。
私の書き込みを見て演技だと思っているのでしょう。そんな物語を作っている余裕は一切ありませんし、わざわざ嘘の物語をここに書く必要があるでしょうか。では私はなぜ、書くのか。
それは助けを求めているわけでも、私は可哀相でしょう、と同情を誘っているわけでも無いのです。
公の場に書くことで文章に多少の気は遣い、頭が整理されるからです。私はこのブログを随分前から続けていますし、私自身にとっての日記帳でもあるからです。記録を残しておくのは重要な事です。それがノートであれブログであれ、主体は文章を書く本人です。
もう一度記しておきますが私が綴っていることは全てノンフィクションです。
普段ならどうでもいい男に何かチャチャ入れられることくらいなんて事無いのです、ただ、今は心に余裕が無いのでこんな人間に対して相手してしまっています。

昨日は姑が風邪引いたので差し入れ無し入院生活。食べられるものがなく、夜には栄養失調で黄疸が出て点滴。もはや子宮収縮は治まり、入院していることで別の病気になりそうだ。

咳込んでいると、姑には「心臓病だからよ」と言われる。心配してくれているんだろうけれど、私にとっては小さくともストレス。
水曜日から不在の医者がやっと来た、入院中初の内診。そろそろ退院させてくれるかしら。もうトイレットペーパーも飲み水も無くなったから、夫に持ってきてもらうか退院させてもらうかしかない。
そろそろ外に出て外の空気を吸いたい。靴もコートも入院前に見送り人に預ける決まりだから、逃げられない。窓は解放厳禁。

もうあれは8年も前のことだが、腎臓尿管結石でロシアの国立病院に入院させられた時は窓から逃げ出した。
あれは留学中だったから日本の両親が私のために海外留学保険に加入してくれていたのだが、曜日だか何かの問題で救急車をその外国人病院から呼ぶには高額な料金が発生すると言われ、ビビった私はロシアの無料医療サービスを受けることを当時承諾した。
しかしその国立病院に運ばれてみて、私は衝撃を受けた。今なら耐えられたであろうものも、当時の17歳の私には理解不能な世界で、後先考えず窓から逃げ、金もないのにトロリーバスに乗り込み寮に帰った。
確か翌日にはその外国人病院へ搬送された記憶。

今から考えればあれは、ロシアで今後も濃く長い人生を送るのだよという「予知夢」だったのかもしれない。

病院についてる、火事になったときの用具。
日本の学校でやるような避難訓練はロシア人は受けて無い。夫は火事になった時、対応できるのだろうか。理系だから大丈夫かな(謎)