Sunahara Kanon's Diary

ロシアで子育て奮闘中、バレエダンサーの雑記帳

ブルノンヴィルやシルフィードに興味ないと面白くない記事ですが、ああ、落語はいいね。

今チェチェン紛争時代でもなんでもないので
誰とパドドゥを踊ろうが、誰とパートナーを組もうが
男性が女性の腰に手を当てても、結婚しないといけないという決まりは無いけど

パドドゥってやっぱり、不思議。
バレエを知らない人に見せたら「こんなのありえない」と言われたことがある。

バレエから離れて、はじめて
所謂"一般の女性"の目線になって、パドドゥを見ることに成功した。

たとえば恋人がいたとして
彼にパドドゥを踊っている姿を見せられるのか。
バレエダンサー同士であっても、パドドゥを他のパートナーと組んでいると
怒って喧嘩になって別れてしまったりしている。
ボリショイやクレムリンに入ったような子でもそんなことになっている。
だからロシアは、パートナーを組む人は大体が恋人同士なんだけれども。

でも実際のところは、本当に踊ってるときだけしかパートナーのことは考えてないのにね。
かと言って仲が悪かったら良く踊れないし、わざと失敗させられることだってあるから
どうしたらいいのかわからなくなる。

パドドゥを通して苦労した友人が何人かいるし、私もそれで辛い思いをしたことが
無かった訳ではないから、
ああ、これからパドドゥ踊りたい人はがんばってー、みたいな。

ちなみに、チェチェン紛争時のロシアの舞踊学校では、
宮廷舞踊の授業中、男の子はたとえ12歳であれ、
いくら教師が女の子の腰に手を当てるように指示をしても、
「腰に手を当てたら結婚して、幸せにさせてあげないといけないからできません」
と言ったりしていたようなので、、、当時は宮廷舞踊教師はこの問題だけは解決できず、
困り果てたそうです。今は、自由ですね、女の子同士でもパートナー組んでますから笑
(男の子の人数が足りないから)

ブルノンヴィルのシルフィードは、真っ白で、儚くて夢のよう。
きっと17世紀の酒飲み哲学者、パラジス博士が描いていた幻想と、同じようなイメージ。
特徴的なパドドゥのシーン、男性は女性をほとんど支えなければ触らない。
ブルノンヴィルは、男性が女性にとって、ただの"支柱"にすぎないのは
嫌だ!と思ってああなってしまったそうだけど(ソ連の文献より)

私にはシルフィードは見えません。きっとタリオーニがここに居たとしても、
何も見えなかったでしょう。感じなかったでしょう、
メイ・エルヴェラやロヴェルトヤーロにも寧ろなりたくないです。

ブルノンヴィルはきっと、とても紳士的な男性だったんじゃないかな、
と私は解釈しています。
特に、19世紀中頃から女性は男性が衣装を着ちゃたり、男性より跳んじゃったりしていたからブルノンヴィルは女性に"女性的な柔らかさ、滑らかさ"を要求したのでしょうね。

今とっても手に取って読みたい本、"Le petie" (1873年)
75年の劇場全焼があったにも関わらず、生き残ったこの本が読みたい。
露訳されていたりしないかな...。Ле петьеで検索かけてみたらいいのだろうか。

"やんごとなき姫君たちのトイレ"という単行本があるけれど、
ヴェルサイユ宮殿への憧れがガタ崩れしたので面白かった。
宮廷舞踊を専門とする教師になるつもりはないけれど、
11月から衣装史の授業が始まる。怪しすぎる教科、これ以上どうしてくれるんだ。
パニエは4日洗わない...それ以上の下ネタだらけなんでしょうね。
辞書に載っていないような、ロシア語が授業で必要とされるのでしょうか。
だとしたら勉強しようがないです、困った。

そもそもこの時代の美人と呼ばれる女性たちは、平均体重が60キロ台って、
現代日本人男性の平均を超えているのでは。(ジョルジュ・ヴィガレロ"美人の歴史"より)
そんな女性たちとヴォルタを踊っていたって、なんてことだー。

この時代の男性の平均腕力ってどのくらいだったんだろう。
その前にカツラって凄い、なんであんなに踊っても落ちないんだろう。
私はイタリア公演の時、くるみ1幕でカツラ飛ばした。

バッハの時代から、ピン止めが既に普及されていたの?
誰かカツラの歴史研究している人いたら教えてください。笑
エクステとかって現代でも中国の女性の髪を使っているそうだけれど、
金髪の保存って、、、。


なんか、どんどんズレてきた気がするけど、
トロアカールをクルチザンヌより
美しく着こなせた女性が美しいと言われたのではないでしょうか。
何が言いたいのかわからなくなってきた、特に何かを言いたいわけではなかったのですが




ああ、落語行きたい。
ルーツは"雑草的"、すばらしい。なんかこう、しっくりくる。
明治17年刊”東京案内”には87軒の寄席が記されていた。
1912年に43軒減ってしまったそうだけれども、まだこうして残っている。
浅草を散歩していても、寄席が見られておもしろかった。

大正時代中期に「映画を観に行く」という行為が流行らなかったら、
今でもまた違った落語の楽しみ方があったんだろうなと思うとちょっと残念だったりする。
気軽に誰でも楽しめるのが、やっぱりいいな。
映画館は、ちょっと周りに気を遣う。咳一つでもしたら、睨まれそう。
だから映画館、怖くて実はロシアでしか行ったことが無い。しかもつい最近。
寄席だと、そんないらない心配必要ないし。


$K ♪ K バレエ
松尾貴史先生が、末廣亭に行くことをすすめてくださった。
行って来よう。
"般゜若"のカレーも食べに行かなきゃ。
誰か一緒にいきませんかー