Sunahara Kanon's Diary

ロシアで子育て奮闘中、バレエダンサーの雑記帳

習慣を愛する人々

残ったごはんをジップロックに入れて冷凍保存するのって日本人だけなんですかね。
ラップでも良いのだけれど、ロシアのラップを買う価値はない。
いやむしろラップがラップの役割を果たすのは日本製くらいか(この感想、日本のラップって素晴らしいんだぜすごいだろうって「外国人」に自慢する子供程度のもの)

今日は「カーナ、ごはーん!!(食べさせて)」と同僚たちが家にきた。
彼らにとって、甘い卵巻きは「奇跡のごちそう」
炊き込みごはんは「人生のごちそう」
かぼちゃプリンは「未来のごちそう」 等々

餌付けてしまった、もう遅い。
おいしい!と食べる人の顔はどの顔も好きだからやめられない。

同僚(バレエ団の子達)はあまり私を「外国人」と認識していないのは、付き合いが「バレエ」によるものだからなのか。
大学の友人達は私を「外国人」と見ているため、会話の中でよく「ロシアでは、日本では」など良い意味で人種の区別をしたがる。
他国の文化、暮らしを知ることは人生の幸せだと思っているので賛成。だから旅行は良いよね。ふらーっと出かけて人物観察。


ところで、ロシア人にとっては米を冷凍すること、箸(彼らにとってはただの棒)で料理することは奇想天外らしい。

あるロシア人に、君はロシアと関わって9年目になるけど、ロシア食は普段作らないの?
と聞かれてはっとした。考えたこともなかった。

きっと、習慣化されていないだけで、「あなたのために料理したの」的なイベントが必要な時(私にもそんな時がこの先訪れるのでしょうか)以外は、わざわざ習慣外のことはしないだろうなー と思う。日本食好きだし。醤油おいしいし。


友人に言われた言葉とそれに対する私の感想。
ロシアに染まれば染まるほど自分の中にある日本的な感情や考え方が気になる。
―そのとおり。染まらなければという脅迫感があることも否めない。

別にどっちかに振り切らないと足が折れますとかいうわけじゃないんだ。
―足が折れるのはもうこりごりだ。

人として生まれ育った国のアイデンティティーを完全に捨て去ることはできない。
―ああ、そうかも。「祖国とは国語である」(山本夏彦)を思い出した。

一度しか会ったことのない人だけれど、勝手ながら「友人」としてる。
それが伝わっているのか、この人も私を「友人」として言いたいことをまっすぐに言ってくれる。
愛だねー、愛だよ。

最近ブログが雑記帳になってきた。更新日も内容も口調もバラバラ。
こうして好き勝手に書いてバレエから離れて頭を整理するのも習慣のひとつです。



ロシア正教のクリスマスの日、田舎へ行って来ました。